妨害が激しいため、調査捕鯨を中止というニュースを見て。
調査捕鯨という名目で捕鯨を継続している、という現実があり、
そういった手法そのものについての疑問はある。
話合うことも難しいのだろうか。
どこまでも平行線のままなのだろうか。
もしそうならば
それはきっと、お互いが共通の答えを見つけ出すための話し合いではなく
それぞれ自分たちの主張を100%認めさせるための話し合いだからだろう。
捕鯨に限らず、人間が何を食物とするか、ということについては
雁屋哲氏原作のあるコミックで述べられていた論に共感している。
そもそも、人間は他の生命を犠牲にして食物としなければ生存できない
罪深い生物である。
それはベジタリアンであってさえ生命を犠牲にしている点で違いはない。
植物はOK,動物はNGとするならば、その境界線は何だろう。
植物には命がないのか?
鶏、豚、牛はOKで、クジラをNGとする、その基準は。
仮にこれらは食用として繁殖できるからとした場合。
殺され、食べられるためだけに生み出される生命の悲しさについて
思いが至らない人間性とは何なのか。
こうした生命の価値基準、判断について、私は答えを持たない。
ただひとつ言えることは、先にあげた事実。
人間は他の生命を犠牲にして食物としなければ生存できない罪深い生物であるということ。
だからこそ、食事には敬意と感謝を持ち、ありがたくいただく。
そしてそういう犠牲の上に存在している自分の生命をきちんと生きてかねばならないと思う。
その自覚がある者であれば、他人が食しているものに対する言動は自ずから熟考されたものとなるはず。
食習慣の違いや文化的な背景を無視して簡単に反対したり、気持ち悪がったりすることはありえない。
もちろん、絶滅危惧種であるような動植物に対する配慮は必要だ。
そこに対する議論はきちんと行うべきであり、そのための(本当の)調査は必要だと思う。